親を施設に入れるのに罪悪感がある… 考え方を世代ごとに解説

親を施設に入れるのに罪悪感がある… 考え方を世代ごとに解説

親を施設に入れるときには罪悪感を抱えてしまう人は少なくありません。親の介護にあたり大事な考え方について世代ごとに解説します。

吉田輝美 教授
名古屋市立大学大学院 人間文化研究科
社会福祉士・介護福祉士・公認心理師・米国NLP™協会認定NLP™マスタープラクティショナー・米国NLP™協会認定NLP™コーチ・ケースメソッド・インストラクター
日本高齢者虐待防止学会・日本社会福祉士会・日本介護福祉士会
養護老人ホームで介護職・生活相談員として勤務後、大学にて介護福祉士や社会福祉士養成に携わる。専門は高齢者福祉分野であり、感情労働としての介護労働をベースに、介護人材のストレスマネジメントや人材育成に関する研究や研修を行っている。
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親の介護には想定外がつきもの

親子関係は、当事者にしかわからない様々な思いがあります。人々の価値観が変化しているにもかかわらず、社会に暗黙に存在している「子は親の世話をして当然」「親の介護は子の責任」などは、世代が変わっても受け継がれているようです。

親との関係が不良で介護をしたくないけれど、世間体があるから介護せざる得ない子世代、親の介護をすると以前から決めていたけれど、悩み多き介護生活に疲れてしまう子世代など、親の介護には想定外がつきものです。世間体を気にした「よい子」神話を背負って現代社会を生きる子世代は、親の介護に関する本音を抑圧し、精神的な苦しみを抱えていることもあるのではないでしょうか。

介護が始まると、親子の権力関係が逆転し、親の残りの人生の決定権を子に委ねられる場面も多くなります。例えば、親が救急搬送された病院で子が治療の決断を迫られるなど、いつのまにかキーパーソンとして位置づけられ、意思決定を求められる場面があります。

親のためにと思ってやったことが、周囲の抵抗に曝され不全感に苛まれ、何か腑に落ちなさが、子に沸き起こることも珍しいことではありません。

超高齢社会は多世代の価値観が混在する

人生100年時代が到来しています。親の介護についてまだまだ旧来のイメージが残り、特に老人ホームに関するイメージは、世代によって大きく違います。

戦前生まれの親と子が団塊の世代

戦前生まれの親世代と子が団塊の世代(75歳~79歳、2024年に誕生日を迎えた場合、以下同)という場合に、多くの親世代が、身寄りのない人が入所するという「養老院」をイメージし、「老人ホームなんか行きたくない」と言うこともあるでしょう。

戦前生まれの親世代は、3世代同居やご近所づきあいが当たり前で、生活の困りごとは助け合って解決していく時代でしたから、そもそも施設介護の供給が少なく、施設に入る人は特別な人という認識があったようです。施設生活は時代とともに変化していることを親に理解してもらうため、専門職などに説明の協力を依頼したり、WEBなどを活用したりして繰り返し伝えてみてはいかがでしょうか。

団塊世代の親と団塊ジュニアの子世代

親世代が戦後生まれや団塊の世代(75歳~79歳)で、子が団塊ジュニア(49歳~53歳)の場合には、親世代は現役時代に第2号被保険者として、介護保険制度の担い手となりましたので、自分たちの親の時代とは違った介護の形を経験し、契約によって利用することや事業所を自由に選択できることなども学んでいます。

この世代は、親がその親を介護し苦労する姿を見聞きし、介護の大変さを学習していますので、自分が介護を必要としたとき、「子どもには迷惑をかけないよう施設に入所する」と、自らの意思を持っている人が多いようです。

親は子に迷惑をかけたくないがゆえ、子に介護の相談しない場合もあります。団塊ジュニア世代は、まだ現役で仕事をし、就職氷河期時代を生き抜いてきた人も多くいます。生活実態としては、定年までまだ時間がある、共働きで親の介護ができない、子どもに教育費がかかる、シングルライフなど多様な背景があり、親の介護まではお金が回らないという状況も珍しくありません。

介護が必要になった時の備えとして、親が元気なうちに意向を聞いておくことは、子が迷わずに親の意思を代弁できることになるのではないでしょうか。

団塊ジュニアの親とその子世代

団塊ジュニア世代(49歳~53歳)は、親の介護と向き合い始める時期であり、団塊の世代の親が自分の介護について意志を表現する姿を見ながら、自らもそうなるだろうなと思っていますが、自分の介護についてはまだ先と考えています。

団塊ジュニアの子世代(20代前半)は、親はいつまでも元気なままで、老いていく姿をイメージしたがらない傾向があると感じます。また、自分には介護の知識や技術もないので、最初から親の介護はしないと決めていたり、親自身が施設へと言っているから親の希望を叶えることが親孝行であると解釈していたり、躊躇なく親の介護は専門家に任せる施設入所を選択するようです。介護という人生のリスクを自分事とする難しさがあるようです。

 

介護生活は、終わりが見えないものです。長期間親の介護をして「十分悔いなくやった」と話す子世代、短期間で急に親の介護が終わり「してあげたいことがもっとあった」と話す子世代など、親の介護に対する思いはそれぞれです。

反転する親に対する感情

親を施設に入れることで起きる罪悪感は、

親のためを思って→施設入所させた→叔父や叔母から「あなたを一生懸命育ててくれた親を施設に入れるなんて」と非難された→親不孝な私である。

というひとつのモデルが示されます。親のためと考え行動した結果が、他者からの言葉を基準に自己評価し、親不孝な私となっています。さらに、親のためを思っての選択が罪悪感という帰結となり、自分を苦しめるのですから辛くなります。

このモデルにおいて罪悪感を持たないようにするためには、「親のことを思った行動はしないことに尽きる」と、モデルを反転して考えることが効果的ではないでしょうか。

そうすることによって、親のことよりも自分を中心に介護を考えなさい、つまり、自分の生活や人生を中心に据えて親の介護を考えるというもうひとつのモデルができあがります。

冷静に考えましょう。「罪悪感を持つ私」に浸ることで、何かが変わりますか。その家族にしかわからない、親子の事情というものがあります。理想的な親子関係という幻想に囚われていないでしょうか。施設入所→親不孝という考え方は、化石化した社会的な評価と捉え、他の家庭と比較することなく、「うちはうちのやり方」と割り切った介護をしてください。

親を施設へ入所させることが親を捨てたと感じてしまうこと、これは親と施設の双方に対し失礼で残念な考え方になるのではないでしょうか。施設に対する敬意の無さであり、子が「親を(こんな)施設に」と思うことこそ、親に対する「罪」ではないかと思います。

親が施設へ入所した後に子ができる最善の行為は、施設職員へ感謝の念を伝えることです。必要なことは、罪悪感より必要な感謝の言葉です。不平不満などの否定的な言葉は、施設との関係を崩壊させますが、肯定的な言葉は、施設職員に感謝してくれる子を育てた立派な親として、親に対し施設職員から尊敬の眼差しが向けられ良い関係をもたらします。

親の介護について、自らの考え方の癖によって苦しくなる場合には、反転させて物事を考えてみると、心が軽くなったり、親の介護との向き合い方のヒントが浮かんできたりします。

介護は覚悟である

子の安心は、親にとっての安心でないこともありますし、親にとっての理想の在宅生活は、子にとって安心ではない場合もあります。

親の希望を優先して在宅介護を選択した場合、仕事で疲れて帰宅し玄関を開けた瞬間に便臭がし、廊下に漏れている排泄処理が最初の仕事になったり、親からの心無い言葉で子が傷ついたりすることも珍しくありません。

いくら親は認知症だからと思っても、仕事で疲れた心身には想像以上のダメージとなり、親への口撃が止まらなくなり、親子の口論になることもよくあることです。子は、きちんと介護ができていないと自分を責め、親孝行できていないと自分を追い詰め、心身がさらに疲弊していきます。なぜ早くに施設入所を選択しなかったのか、入所できるタイミングがあったのに、そのチャンスを逃した後悔に苛まれるかもしれません。

一方で、親が拒否していたにもかかわらず説得して施設入所した場合、施設に面会に行くたびに「家に帰る」と言われることが辛く、親を施設に捨てた気持ちになり後悔することもあるかもしれません。そのような時には、施設で親と面会できる残された時間はどれくらいだろうかと考えてみましょう。親と会える時間を楽しみ有意義なものにする工夫が、親と自分の気持ちを満足させることになるのではないでしょうか。

多くの人が、施設か在宅かと親の介護に悩み結論づけたにも関わらず、選択しなかったもうひとつのほうが良かったのではないかと考えるものです。完璧な介護などは存在しないのですから、「誰かの犠牲の上に成り立つ介護は綺麗ごとではないか」と疑ってみることも必要ではないでしょうか。

介護は理想通りに行かないものですから、どこまでなら妥協できるか考えてください。介護にどれくらいのお金がかけられるのか、どれくらいの時間を親のために提供できるのか、綺麗ごとを言わず現実的な視点で考えます。現実が見えてくると、施設入所か在宅生活の継続かの選択ができると思います。介護される親と介護する子の両者が、介護を通じて幸せになれる方法を探していきましょう。

引用・参考文献

石川結貴(2019)『毒親介護』文藝春秋

おおたわ史絵(2020)『母を捨てるということ』朝日新聞出版

大山眞人(2019)『親を棄てる子どもたち』平凡社

菅野久美子(2020)『家族遺棄社会』角川新書

寺田和代(2020)『きらいな母を看取れますか?』主婦の友社

吉田輝美・中塚晶博・山本克司(2022)「親を介護したくないと感じている人の介護負担感についての検討-介護する側の子が感じる親子関係に着目して‐」日本ヒューマンリレーション研究学会誌 3 pp.31 – 42

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