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  • 【公開日】2024-03-25
  • 【更新日】2024-04-01

認知症患者の家族介護者に向けた傾聴トレーニングシステムの試みの紹介

認知症患者の家族介護者に向けた傾聴トレーニングシステムの試みの紹介

認知症患者数は2025年には700万人を超えると推計され,今後も認知症患者の家族介護者が増えることが予想されており,認知症患者の家族介護者が抱える精神的負担は深刻な社会問題となっています。

そこで,我々の研究室では,認知症患者の家族介護者のための傾聴の学習を行うトレーニングシステム(図1)の研究開発を進めています。傾聴の学習を行うことで,家族介護者がBPSDを緩和させる介護方法が可能になり,傾聴を通して認知症患者の心理を知ることで認知症の理解が深まり認知症患者に対しての態度の改善に期待ができます。本コラムでは,トレーニングシステムの紹介を行いながら家族介護者の困難について議論したいと思います。

図1 認知症の家族介護者のための傾聴トレーニングシステム
片上 大輔 教授
東京工芸大学 工学部 工学科
大学教員
人工知能学会,日本知能情報ファジィ学会,ヒューマンインタフェース学会,IEEE,ACM各会員
2002年東京工業大学大学院総合理工学研究科博士後期課程修了。博士(工学)。東京工業大学大学院総合理工学研究科助手・助教を務め,2010年東京工芸大学工学部准教授を経て,2017年教授。現在に至る。ヒューマンーエージェントインタラクション,人工知能に関する研究に従事し,近年は運転支援エージェントや介護トレーニングシステム等の支援システムに興味をもつ。

認知症の周辺症状であるBPSDとは?

BPSDとはBehavioral and Psychological Symptoms of Dementiaの略称であり,認知症の周辺症状を示しています.具体例として妄想,幻視,異食,ひとり歩き(徘徊),暴言などが挙げられます。

認知症患者の家族介護者は認知症を持たない要介護・要支援者の介護とは異なる負担感を生じており[1],BPSDが介護者の生活の質が低下する主なストレス要因となっていると指摘されています[2]。BPSDを緩和するためには,日常的な介護において適切な対応を行う必要があり,BPSDの緩和に期待ができる介護方法としてバリデーションやユマニチュード等が挙げられますが,いずれも行うためには専門的な技術や知識が必要であり,家族介護者が行うためには高い学習コストがかかってしまいます。

認知症の家族介護者がたどる心理的ステップ

家族介護者がたどる心理的な状況について,杉山は「認知症の人の家族がたどる心理的ステップ」[3]を提唱しており,以下の様にまとめています。

  • 戸惑い・否定:認知機能の低下に伴いBPSD が生じることで,戸惑いを覚える。認知症を疑うが否定をする。他の家族や親類に相談できず,一人で悩み強い孤独を感じる段階である。
  • 混乱・怒り・困惑:患者のBPSDが続き,徐々に周囲の家族は混乱し,どのように対応すべきかわからなくな。説得や説明,注意をしても不可解な言動は収まらず,怒りを覚える。そうして,イライラした日々を過ごすうちに,心身ともに疲弊し,介護を拒絶するようになる。精神的・身体的に最も辛い段階である。
  • 割り切り・あきらめ:説得や説明,注意を行っても,不可解な言動が好転しない状況が続くと,割り切りができるようになる。注意しても意味がないという,あきらめを行う段階である。
  • 受容:認知症について理解し,患者のありのままを受容できるようになる。患者の言動を許すことができ,介護者の心も穏やかになる段階である。

認知症の人の家族のたどる心理的ステップでは,患者家族の認知症に関する理解の深さや知識を得ることによってステップは変化します。一般に,ステップ3,4の段階では,ストレスが減り,患者家族の精神的負担が減るとされていま。そのため,介護者の精神的負担感を軽減するためには,介護者が認知症の知識を学習し理解を深めることが必要となります。

介護業務経験と適切な介護行動との興味深い関係

介護場面においては適切な対応ができなければBPSDが悪化する可能性があるとされています[3][4]。しかし,介護場面においては患者本人の培ってきた経験や性格,認知症の症状の違いなどによって適切な対応は異なるため,適切性のある認知症ケアをまとめた学習支援システムを作成することは,これまでの研究において課題となっていました[5][6][7]。

そこで,介護従事者を対象として先行研究[7]で使用された介護行動の適切性を調査することで,BPSDの軽減に効果的なケア方法の検討を行いました。15の介護場面においてユーザに提示・選択させる60の介護行動を対象として適切性のアンケートを行いました。アンケート回答者は「1. 望ましくない~5. 望ましい」の5段階で評価を記入し,その後評価をした理由を1つの介護場面ごとに自由記述で記入してもらいました。アンケート回答者は認知症患者の介護を行った経験のある男女11人(平均業務年数6.8年)です。

60の介護行動において得られた適切性評価について,システム上で正解としていた介護行動に対して評価の平均値が3より低いものが9 つ,システム上で不正解としていた介護行動に対して評価の平均値が3より高いものが4つ確認できました。これはつまり,専門家に聞いて正解として設定していた介護行動に対して,介護経験者によって答えが異なったことを意味しています。

自由記述にて,その理由を調査したところ,業務経験年数の比較的低い介護者の回答に着目すると,「話す」「説明」「伝える」といったワードから,介護方法として患者に介護者の意思を伝える「説得」のようなケア方法を意識していました。一方,業務経験年数の高い介護者の回答に着目すると,「聞く」,「確認など,患者の意見を聞き取るための「傾聴」のケア方法を意識していることがわかりました。

そこで,我々は,代表的なBPSDの緩和に期待ができるケア方法であるバリデーションにおいて重要なコミュニケーション技術とされている「傾聴」 [8]について着目しました。

バリデーションと傾聴

バリデーションとは,認知症患者に共感し耳を傾け,認知症患者にとっての現実をありのまま無条件に認める手法です[8][9]。「認知症患者の全ての行動に理由がある」などの理論を基に,傾聴する」「共感する」「誘導しない」「受容するという5つの基本的な態度を取ることが必要となります。この態度の内「傾聴する」では,単に話を聴いて頷くだけではなく,認知症の影響でコミュニケーションが難しい患者の意思表出を手助けするような声かけを行います。さらに,患者が「部屋に人がいる」と言った場合,本当に部屋に人がいるかのように振る舞うなど,見ている世界を否定せず,受容し共感する必要があります。

AI技術を利用した認知症介護のトレーニングシステム

前述の調査結果から,我々の研究室では,バリデーションに用いられる傾聴に着目し,傾聴の学習を行うトレーニングシステムの開発[10]を行いました。傾聴の学習を行うことで,家族介護者がBPSDを緩和させる介護方法が可能になり,傾聴を通して認知症患者の心理を知ることで認知症の理解が深まり認知症患者に対しての態度の改善に期待ができます。

以下では,AI技術を用いた家族介護者に向けたトレーニングシステムの例として,本研究について紹介します。この研究の狙いは,AI技術を利用することで家族介護者の精神的負担を軽減することですが,ここで大事な点は,「将来的に家族介護者になるであろう方々に認知症についての理解を深めること」です。

本システムではエージェントがBPSDによる介護トラブルを発生させ,ユーザは介護トラブルを解消するための傾聴を含む介護行動の入力を自由記述で行います。ユーザの入力内容は,ユーザの入力内容に含まれる介護行動が望ましいか望ましくないかを判定するためのプロンプトを作成しOpenAI APIサーバ [22]に送信し,介護行動の判定を行い,判定された内容に応じて,擬人化エージェント(キャラクタ)がユーザへ適切な反応を行います。

認知症高齢者をエージェントに演じさせることにより,ユーザは認知症患者の介護場面を仮想的に体験することができます。エージェントと介護者役であるユーザの関係は親子という設定であり,家族介護において想定される関係性を再現しています。また,エージェントは中期・中等度のアルツハイマー型認知症を持つ認知症患者の設定であるため,認知症が原因でコミュニケーションに問題が生じることがあるが,羞恥心や尊厳が保たれており,患者の意思を無視した介護行動には拒否を示すようになっています。

システムにて扱うシナリオは介護トラブルにおいて傾聴が有効な8つの介護場面を想定しています。介護場面はBPSDによる介護拒否,物忘れ,幻視,異食,物取られ妄想,帰宅願望などを想定しており,シナリオの作成にあたって,大井ら[7]の研究と認知症の介護トラブル場面を題材とした書籍[4][12][13]を参考としています。

システム開発ツールとしてTyranoScript[14]を使用しています。また,認知症役のエージェントとして,介護アンテナ[15]にて作成されたイラストを使用し,背景画像についてイラストAC[16],みんちりえ[17],びたちー素材館[18]にて配布されているイラストを使用しています。音声についてVOICEVOXを使用し,ナレーションをVOICEVOX:雀松朱司,介護者役をVOICEVOX:栗田まろん,認知症患者役をVOICEVOX:後鬼にて作成し出力を行っています[19]。

提案システムにおける1つの介護場面における流れを図2に示します。シナリオが開始すると,介護トラブル場面が表示されます。エージェントはBPSDにより介護トラブルを発生してしまうため,ユーザはシステムに入力する介護行動を通して,介護トラブルの原因やエージェントの意思の確認を行います。ユーザが入力した介護行動の内容に応じて判定を行い,望ましい介護行動である傾聴を行えた場合にはエージェントが肯定的な反応を行い,介護トラブルが解決し,原因となった症状の解説を行います。

介護トラブルの解決に繋がらない介護行動を入力した場合には,その内容に応じたエージェントが反応を行い,ユーザの入力内容や入力回数に応じたヒントを提示し,再度入力を促します。全ての介護場面にて介護トラブルを解決後,ユーザの入力内容や入力回数に応じた全体的な介護行動の評価としてフィードバックを行います。

本システムの評価実験の結果[10]から,認知症の家族と同居している者,認知症介護未経験の者に対してシステムの学習効果があったことが示されています。

図2 介護場面における認知症介護トレーニングシステムの進行例

まとめ

本コラムでは,認知症患者の家族介護者が抱える精神的負担に関して議論するとともに,AI技術を利用して家族介護者の精神的負担を軽減することを目的としたトレーニングシステムについてご紹介しました。今後より厳しくなる高齢化社会について,今後より厳しくなる高齢化社会について,新しい技術による新たな支援が可能になり,様々な可能性を試すことで,よりよい世の中になっていければと思っております。本コラムがそのような未来を創造していくための一助となれば幸いです。

【参考・引用文献】
[1] 杉浦圭子, 伊藤美樹子, 三上洋: 家族介護者における在宅認知症高齢者の問題行動由来の介護負担の特性, 日本老年医学会雑誌, Vol. 44, No. 6, pp. 717-725, (2007)
[2] Chappell, L.N. and Reid, R.C..: Burden, and Well-Being Among Caregivers: Examining the Distinction, The Gerontologist, Vol. 42, No. 6, pp. 772-780, (2002)
[3] 杉山孝博, 主婦の友社: 認知症の人の心がわかる本 介護とケアに役立つ実例集 認知症の人を抱える全国の家族の声から生まれた42の実例と認知症ケア第一人者のアドバイス, 主婦の友社, (2020)
[4] 川畑智著, 遠藤英俊監修, マンガでわかる!認知症の人が見ている世界①, 文響社, (2022)
[5] 渡邊一矢, 冨樫瑛, 飯村稔真, 鯨流聖, 小城絢一朗, 湯浅将英: 高齢者・認知症者とのコミュニケーショントラブル解決を学ぶためのエージェントシステムの提案, 電子情報通信学会, HCGシンポジウム 2018, B-2-2, (2018)
[6] 岩崎莉緒: 擬人化エージェントを用いた認知症患者とのコミュニケーションスキルトレーニングシステムの提案, 東京工芸大学2020年度卒業研究, (2021)
[7] 大井晏吾, 片上大輔: 認知症介護の心理的負担を軽減するための認知症介護トレーニングシステム, 人間共生システムデザインコンテスト2023&第34回HSS研究会, G-2-4, (2023)
[8] Feil, N.: Resolution: The final life task, Journal of Humanistic Psychology, Vol. 25, No. 2, pp. 91-105, (1985)
[9] ナオミファイル著, ビッキー デクラーク・ルビン著, 稲谷ふみ枝監訳, 飛松美紀訳: バリデーション ファイル・メソッド-認知症の人への援助法, 全国コミュニティライフサポートセンター, (2016)
[10] 山中祐樹,宮本友樹,片上大輔:認知症患者の家族介護者に向けた傾聴トレーニングシステム,HAIシンポジウム2024,G-32 (2024)
[11] OpenAI: OpenAI API, https://openai.com/blog/openai-api(参照: 2024-1-25)
[12] 川畑智著, 遠藤英俊監修, マンガでわかる!認知症の人が見ている世界②, 文響社, (2022)
[13] 川畑智著, 遠藤英俊監修, マンガでわかる!認知症の人が見ている世界③, 文響社, (2023)
[14] TyranoScript: TyranoScript, https://tyrano.jp/. (参照: 2024-1-25)
[15] ベネッセスタイルケア: 介護アンテナ, https://www.kaigo-antenna.jp/. (参照: 2024-1-25)
[16]イラストAC: イラスト素材:洗面所, https://www.ac-illust.com/main/detail.php?id=2436539&word=%E6%B4%97%E9%9D%A2%E6%89%80&searchId=. (参照: 2024-1-25)
[17] みんりち: みんちりえ, https://min-chi.material.jp/. (参照: 2024-1-25)
[18] びたちー: びたちー素材館,http://www.vita-chi.net/sozai1.htm(参照: 2024-1-25)
[19] VOICEVOX, https://voicevox.hiroshiba.jp/. (参照: 2024-1-25)

【謝辞】
本コラムの内容は,研究室の卒業生である岩崎莉緒,大井晏吾,山中祐樹との研究活動の成果に基づきます。記して感謝します。