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  • 【公開日】2024-02-26
  • 【更新日】2024-02-26

長い高齢期どう生き抜くか ~盤石な高齢期は可能か~

長い高齢期どう生き抜くか ~盤石な高齢期は可能か~

人生100年時代と言われる現代において、高齢期という言葉が持つ意味は変わってきている。生活を安定させ豊かな日常を過ごすためには何が必要なのだろうか。盤石な高齢期を迎えるためのポイントを解説する。

山田 知子 教授
放送大学教養学部/大学院文化科学研究科
日本社会福祉学会、社会政策学会 他
日本女子大学大学院修了後、埼玉県立大学等の社会福祉系大学において社会福祉士養成に携わる。博士(学術)。社会福祉法人理事長、評議員などを歴任、1990年より放送大学にて社会福祉系科目を主任講師としてテレビおよびラジオ科目を制作(高齢期の生活と福祉、高齢期の生活変動と社会的方策、社会福祉ー新しい地平を拓く等)。また、放送大学大学院文化科学研究科生活健康科学プログラムにおいては修士課程、博士課程の院生の研究を指導。保健医療福祉現場で働く専門職の社会人学生を多数指導、毎年多くの優秀な修了生を輩出している。専門は福祉政策、高齢期の貧困、生活問題、とくに高齢女性の貧困の実態調査、介護職員の処遇改善など。
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1.変わる高齢期の意味

人生100年時代といわれるようになった。戦前期は、乳児死亡率が非常に高かったこともあり、平均寿命は50歳に満たなかった。また、戦時中、男性は徴兵される運命であったから20歳まで生きることもないだろう、と60歳や70歳の姿を想像することすらできなかった。大正、昭和ヒトケタ生まれにとって高齢期は余生、おつりの人生でしかなかった。

しかし、今は、寿命が延び、生まれた瞬間から100歳を前提として人生をはじめる。これまでは高齢者といえば65歳以上とだれもが疑わなかったが、最近は心身ともに若々しく65歳といっても50歳にしかみえない高齢者もたくさんいる。実際、最近の研究では、健康状態が改善され、8掛け、つまり現在の65歳は昭和時代の50歳、あくまでも健康状態でみれば、むしろ75歳や80歳を高齢者というほうが現実に即しているともいわれている[1]

我々の人生は大きく分けるといくつかのステージにわけられる。子ども期青年期壮年期高齢期である。人生100年時代とはいわゆる高齢期が長くなるということである。社会的生活から引退し年金生活になるのがだいたい60歳から65歳とするとそれから100歳にいたるまで35年から40年ある。これまでは、懸命に勉強してよい大学に入り良い会社にはいる、精進し出世して定年を迎える、ここまでを考えていればよかったが、100年時代では、それからの30年40年をどう生きるかが大きなテーマとなる。老後の資金もこれまではせいぜい65歳までもてばよかった。配偶者も長生きをする。一人で、夫婦で、長い高齢期をどう乗り切るか、ゴールは思ったよりずっと先なのである。しかも高齢期は心身機能の低下や経済的不安定性、子どもとの関係の変化などこれほど予測がつかないものはない。

2.高齢期の経済的不安定性と住宅喪失のリスク

高齢期の生活の安定に欠かせないもの、なんといっても衣・食・住である。これに、疾病障害への対応(健康、介護)、経済的安定のための年金、就労、さらに身辺自立(日常生活技術)、家族や地域関係などの生活関係、生活時間(余暇)、生活情報力の豊かさなどが軸となる。中でも経済的安定は欠かせないものである。

厚労省「国民生活基礎調査」(2022)によれば、「高齢者世帯[2]」の「一世帯当たりの平均所得金額[3]」は318万3千円、「世帯人員一人当たり」は206万1千円である。「中央値」は253万円である。若い世帯などをくわえた全世帯の「平均所得金額」は545万7千円である。全世帯の平均所得に届かない高齢者世帯の割合は89.0%、かなり厳しい高齢者世帯の実態が浮かぶ。

また、同調査で「貯蓄額」をみてみる。高齢者世帯の「一世帯当たり平均貯蓄額」は1603万9千円で一見ゆとりがあるようにみえるが、これを30年40年持たせるとなると必ずしもゆとりがあるとはいえない。さらに「貯蓄ゼロ」11.3%、「貯蓄はあるものの200万円以下のもの」は12.5%である。つまり、高齢者世帯の約25%は貯蓄ゼロか200万円以下ということになる。他方、3千万円以上も14%いるので、全体の平均を押し上げていると思われる。が、大半は全体として100歳までの長い高齢期の生活を経済的に下支えできるかと考えるとかなり厳しく経済的に不安である。

こうしてみると多くの高齢者はぎりぎりまで働き生活を維持している。とはいえ、70歳や75歳をすぎても就労の機会が得られるかというとかなり厳しい。当然高齢になるにつれて失業のリスクは高まるからである。年金と高齢者就労については個人の努力では限界があるから、必要であれば生活保護を受給すればよい。さらに最低生活維持可能な年金額、高齢者の就労チャンスの拡大については真剣に議論すべきである。

経済的不安は住宅喪失と深くつながっている。年金が少額で稼働所得による収入でやりくりしている高齢者は少なくないのだが、不況などにより、たとえばコロナの感染拡大の自粛措置で雇止めにあい収入がゼロになることもある。こういう場合、住宅喪失のリスクにさらされる。家賃の支払いが困難になると最悪、住宅喪失に陥るのである。生計費の支出の内訳をみると家賃のための支出は大きな比率を占める。そもそも家賃(住宅ローンも同様)というのは食費や光熱費などとは異なり切り詰めることができない性質のものであるからことは深刻である。

また、男女でみると女性の単独世帯の持ち家率は、特に都市部において低いので、女性高齢者が住宅喪失のリスクに直面する可能性が非常に高い。これまで高齢者の住宅問題は子どもと同居すればよい、と考えられ、高齢者自身も高齢期の住宅について真剣に考えずにやり過ごしてきた感がある。また、政策的にも高齢者の住宅保障は社会保障の中心とは考えられずにきたところがある。人生100年時代にふさわしい高齢者のための住宅政策が必要である。低額な家賃で終生住める高齢者向けの住宅、介護サービスや家事サービス、日常的な見守りサービスが付設されているようないわゆるサービス付き高齢者向け住宅見守り機能付賃貸「居住サポート住宅[4]の整備が急務である。

3.豊かな日常を創出する

長生きをすれば必ず心身機能の低下、疾病障害は免れない。人生100年時代の最大の関心事は、認知症になったら、介護が必要になったらどうするか、である。しかしこればかりは予想不可である。最近は、子どもと同居する高齢者は減少、高齢者のみのいわゆる老夫婦世帯と単独世帯、とくに男性の単独世帯の増加が特徴である[5]。長い高齢期を乗り切るのは豊かな日常をいかにつくるかであり、総合的な生活力があるかにかかっている。

具体的には次の3点。第1に、男女ともに掃除、洗濯、料理や買い物、裁縫、金銭管理などの日常生活技術があること、第2に、介護保険サービスや(訪問診療や訪問看護、訪問介護などの訪問系サービスや通所系のサービス、特養などの入居型の生活施設)、自治体が実施する介護予防事業などの利用可能なサービス、NPOなどが提供する食事配食サービスや見守りなど、に関する情報を収集し効果的に利用する力。この力は地域包括支援センターなどの身近な相談窓口などの相談力を含む。高齢者も最近はSNSの達人も登場し若者にも劣らぬ情報収集力に長けている人もいる。要介護でリアルな会合出席は難しくてもSNSで子どもや友人とつながることは可能である。

第3に、人生100年時代にふさわしい豊かな余暇力も大切な要素である。第1の料理や買い物などの日常生活技術は豊かな余暇の創造とも直結している。俳句や短歌などの文学、スポーツ、地域の活動への参加、たとえば子ども食堂などは社会的貢献のみならず年齢を越えた世代間交流、新たな地域関係つくりに広がっていく可能性もある。放送大学で学ぶことは何歳になっても可能である。教養を高めるだけでなく、世代を超えた学生間の交流が可能である。新しい情報入手も可能であり、脳の活性化に役立つ。これほど人生100年時代にふさわしいものはない。お薦めである[6]

4.親の介護責任から子どもを解放する-介護を社会化する

前述のように親と同居する子どもは少なくなったとはいえ、親の見守りや介護、終末期の看取りは誰も避けることはできない人生のイベントである。どんなに関係が悪くてもやはり無関係というわけにはいかない。親孝行の子であればなおさら、遠く離れて住んでいても最高の介護をと考え24時間体制でかかわることもある。かつては子どもが親を介護するのは当たり前といわれた。

しかし家族内介護は限界、介護の社会化を掲げ2000年介護保険法が施行された。また、育児・介護休業法が1995年にスタート。労働者は男女問わず(日々雇用を除く)仕事と介護の両立を後押しする制度が整備されている。これらをフル活用し、終末まで在宅で過ごすことも可能になっている[7]

介護を子が何もかも担うと弊害が大きい。それは体力的にきつく、使命感、責任感が強いほど精神的に追い詰められバーンアウト、最悪、虐待の加害者となってしまうこともあるからである。高齢者虐待の加害者をみると「実の息子」が最も多く38.9%、「実の娘」も19%で、併せると6割にのぼる[8]。この数字は、いかに子ども世代が追い詰められ、相談相手もなく孤独のうちにあるかを物語っているのではないか。親の介護は社会との協働で担うもの、子どものだけの役割ではない。介護は社会化されている。子どもが親の介護を担う場合でも社会との協働で担うものとなっている。

娘や長男の「嫁」は周囲の圧力、自らの性別役割分担意識も加わり、退職し介護の中心的な担い手になる場合がある。これは女性のキャリア中断、仕事を通して形成された人的ネットワークからの離脱、そして女性自身の年金額の減少、という世代をまたがる大きな問題をはらむ。男女ともに、固定的な役割分担意識から自らを解放し、賢く、様々な社会的サービスの情報を集め利用しつつ、助け合うべきであろう。

5.尊厳ある終末期をつくる

よい介護は、認知症ケアや終末期において、一人一人の自由とプライドがとことん守られるかどうかである。たとえ認知能力は低下しても、人として自由が尊重され大切にされているか否かは敏感に感じ取ることができる。つまり尊厳をまもられるということである[9]。これは施設在宅を問わず専門スタッフにも要求されることは言うまでもない。日本は世界に冠たる富裕な国で文化的にも成熟した国である。そこに住む高齢者が放置され尊厳が守られないような介護を受けているのではなんとも恥ずかしい。尊厳がまもられる介護を実現するためには職員の量と質が確保されることが必至である。とくに待遇を含めさらなる改善が必要であることを付言しておきたい。

余命宣告を受けた親の終末に立ち会うことは辛いことである。来年はもういないかもしれない、と思うと悲しくなる。涙があふれてくる。しかし、明日はある、と思いなおし、親との最期の日々を子どもとしてどう豊かなものにしていくか、どうプロデュースするか、考え抜く、それこそが大切ではないだろうか。子どもの頃の思い出を語り、輝いていた人生を振り返る、折に触れ延命治療や葬儀の希望、遺産、お墓のことなども少しずつ話し合う、子も親も死を受け入れていく過程である。様々なサービスを使いながら子どもとしてやり切ったと思える看取りであれば親も子も幸福なのではないだろうか。このやり切り感、幸福感こそが大切な経験である。それは同時に子ども世代にとって終活のレッスンそのものでもあるのだから。

【注釈】

[1] 2017年3月、日本老年学会・日本老年医学会「高齢者に関する定義検討ワーキンググループ」報告書では、最近の高齢者は健康状態が改善されているところから、高齢者の新たな定義として65歳から74歳を準高齢者・準高齢期とし、75歳以上を高齢者・高齢期とすることを提言している。

[2] 国民生活基礎調査では、「高齢者世帯」を「65歳以上の者のみで構成するか、又はこれに18歳未満の者が加わった世帯」と規定している。

[3] 所得とは、2021(令和3)年1月1日から 12 月 31 日までの1年間の所得、稼働所得や財産所得、社会保障給付金、仕送り等を含む。

[4] 国土交通省は、単身高齢者らが賃貸住宅に入居しやすいよう、社会福祉法人などによる見守り機能が付いた「居住サポート住宅」を創設する予定であることが発表された(2024年2月)。

[5] 本稿では単独世帯について詳しく言及しないが、これからは男女の一人ぐらし世帯に照準を合わせた高齢者施策が必至である。非婚の高齢者の増加は子どもに全く頼ることができない世帯の増加を意味する。血縁に頼らない関係や地縁関係の再構築が必要となろう。

[6] 放送大学では1983年の開学以来、常に高齢者が一定の割合を常に占める。2020年第1学期の定年等退職者比率は学部では約10%、大学院修士11.2%、博士5.9%である。高齢学生の在籍理由は「教養を深める」「充実した生活のため」「余暇」「健康の維持のため」で、定年退職後の文化的拠点になっている。

[7] もちろん、介護保険サービスの量と質はまだまだであり、社会保障費用の削減のためにサービスの効率化と有料化がいわれているので憂慮すべきことは多々ある。

[8] 厚労省『高齢者虐待防止法に関する調査』(2021)

[9] 1991年の高齢者のための国連原則(United Nations Principles for Older Persons)は自立、参加、ケア、自己実現、尊厳を掲げている。

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