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  • 【公開日】2024-03-26
  • 【更新日】2024-03-26

あなたの理想の食事とは?
共「食」で「楽しい食事」を積み重ね、自分らしい食事をしませんか

あなたの理想の食事とは?<br> 共「食」で「楽しい食事」を積み重ね、自分らしい食事をしませんか
私たちは日々生きるために食事をしています。今回はそんな理想の食事の在り方について、「楽しい食事」共「食」の観点からご紹介いたします。
安達 内美子 教授
名古屋学芸大学 管理栄養学部 管理栄養学科
管理栄養士
日本栄養改善学会、日本公衆衛生学会、日本健康教育学会、日本食育学会etc…
徳島大学医学部栄養学科を卒業後、名古屋市職員として17年勤務、2012年より現職。その間、青年海外協力隊栄養士隊員としてトンガに派遣、帰国後、女子栄養大学大学院栄養学専攻修士課程修了、名古屋学芸大学大学院栄養科学研究科博士後期課程修了。なお名古屋市職員の際は、高齢者福祉施設に6年間従事、保健所では3年間、介護予防事業等に従事した。

私たちは食事に何を期待しているのか?

私たちは、なぜ食事をするのでしょうか。そう問われれば、まずは「生きる」ためと答えるのではないでしょうか。私たちはいろいろな食材料から成る料理を組み合わせて食べることにより、活動のためのエネルギーを得たり、含まれる栄養素から体をつくったり、体の調子を整えたりしています。つまり、この「生きる」ためには、成長や健康の維持・増進のためも含まれます。

「生きる」の意味を単に生命の維持や成長のためと捉えて食事をするのであれば、食事である必要はなく、錠剤やカプセル状のサプリメントのようなものでも十分かもしれません。しかし、国が定めた安全性や有効性に関する基準等に従って食品の機能が表示されている保健機能食品には「食生活は、主食、主菜、副菜を基本に、食事のバランスを。」と書かれています。みなさんは、食事が錠剤やカプセルにとって代わってしまったらどう思いますか。「生きる」の意味をとらえ直す必要があるかもしれません。

「生きる」ためには、健康である必要があります。では、健康とは何か、世界保健機関(WHO)は「健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。到達しうる最高基準の健康を享有することは、人種、宗教、政治的信念又は経済的若しくは社会的条件の差別なしに万人の有する基本的権利の一つである。」としています。つまり、「生きる」とは「健康に生きる」ことが大切であり、私たちは「健康に生きる」権利があるということです。

世界の中でも長寿国の一つである日本も施策として、健康寿命(ある健康状態で生活することが期待される平均期間を表す指標)の延伸に取り組んでいます。また、重要なこととして、健康には肉体的だけでなく、精神的及び社会的福祉の状態も含まれるということを見逃してはいけません。

では「健康に生きる」ための食事はどのような食事でしょう。みなさんが食べたい理想の食事を挙げてみましょう。絵にしてもよいと思います。私は大学での講義やコミュニティでの調査において、理想の食事(食卓と言った方がよいかもしれません)を描いてもらうことがよくあります。いつ、どこで、だれと、何を、どれだけ、どのように食べているのか、わかるようにと伝えます。

そうすると、食べたことのない豪華な食事、好きなものが食べ放題のバイキング、健康によいといわれている食品が使われている食事、野外での食事、親しい人たちとの食事等、人それぞれぞれです。どの食事もその人がその人らしく「健康に生きる」ための食事だと思います。みなさんの理想の食事は、どのような食事ですか。

私たちは食事に何を期待しているのか。みなさんの理想の食事から考えてみましょう。「健康に生きる」ためだから、栄養素等のバランスがよく、病気になりにくい食事を考えた方もいるでしょう。また、おいしさや満腹感等、満足や充実感が得られる食事を考えた方もいるでしょう。そして、家族や親しい友人とコミュニケーションをとることができる食事を考えた方もいるでしょう。

このように私たちは、食事にいろいろなことを期待しています。大事なことはこれらの期待のバランスです。様々な期待が調和し、自分だけでなく人びとの生活の質の向上と、それがいつまでも続くような環境であり続けられるような食事のあり方を私たち自身が考え、実践していくことが今、求められています。食事は現在のみなさんの期待(健康に生きる)に応えながら、将来の期待(持続可能な発展:sustainable development)にも応えることができます。

楽しい食事とは?

「健康に生きる」ための食事にとって、おいしくて栄養素等のバランスがよく、病気になりにくいことはとても重要で、私は必須条件と考えています。しかし、体によい食事(例えば、減塩食)はおいしくないと言われることがあります。また、病気を治すためには我慢して食事療法を続けなければいけない、飲み込みが上手くできないから、仕方なく嚥下調整食を食べているという方もおられると思います。

このような理想の食事とは言い難い食事をなくすためにはどうしたらよいのでしょうか。もちろん、食事のつくり手であり、栄養・食情報の発信者である、管理栄養士や食品会社等、栄養・食の専門家による努力が必要です。一方で、食事の食べ手であり、栄養・食情報の受信者になることが多いみなさんができることは何でしょうか。

人はある行動について、実践したときに感情の変化(正の感情)を伴うと、またやってみよう、自分ならできると思いやすいといわれています。我慢して食べる、仕方なく食べる、という受け身ではなく、またこのような食事を食べたい、このような食卓ならできそうと思う、積極的な態度への変化です。食事をとることに対して、積極的になれるということは、理想の食事を自分の力や考え方で実現することにつながります。

ここでいう正の感情とはどのようなことでしょうか。食生活指針は全部で10項目あります。その一番初めは、“食事を楽しみましょう”です。食事を「楽しい」と感じることは、食事をとっている時の正の感情といってよいでしょう。では楽しい食事とはどのような食事でしょうか。楽しい食事も理想の食事と同様に人それぞれでしょう。そして、案外難しいのは、例えば「今日の夕食は、なぜ楽しかったのですか」と聞かれたときの返答です。楽しい経験は感情的なため、言葉で完全に表現するのは難しいと考えられています。楽しい瞬間は、その時の気持ちや状況によって異なります。

そこで、「楽しい」という感情について考えてみると、好きなものをおなか一杯食べて楽しい(後に罪悪感に苛まれる)というような、刺激的だけれど不安定な楽しさ(情的な「楽しい」)と、理想の食事を一部実現できており、充実感がある安定的な楽しさ(意的な「楽しい」)があるのではないでしょうか。そして、意的な「楽しい」を積み重ねていくことが、より理想の食事を実現していくことにつながります。

どちらの楽しさも生活の中では必要で、私たちはこの二つの間を行ったり来たりします。私は自分が行ってきた調査から、成長や成熟と共に意的な「楽しい」が食事のベースになってくると、自分の理想の食事を自ら実現できる力がついてくるのではないかと考えています。

楽しい食事を積み重ねていくことが、「健康に生きる」ための食事となっていくと考えています。

共食と孤食

私が行ってきた食育活動や調査からは、誰かと一緒に食事をしている人ほど、食事を楽しんでいることがわかってきました。しかし、1人での食事を楽しんでいる人も少なくありませんでした。さらに、家族で食卓を囲み食事をしていても、誰かがスマートフォンを手元に置いている様子も見えてきました。みなさん、想像してみましょう。もしも、一緒に食事をしている人の関心が、目の前の自分や人、料理ではなく、スマートフォン上にあったら・・・、私は少し悲しく、楽しくありません。

食育の推進に関する施策について、基本的な方針や食育推進の目標等を定めた、第4次食育推進基本計画には、“地域等で共食したいと思う人が共食する”ことが目標として掲げられています。ここでの共食とは、みんなで一緒に食卓を囲んで、共に食べることをいいます。目標は、共食をしたくない人はしなくてもよいと読み取れますが、改めて共食の意味を考えたいと思います。

第4次食育推進基本計画では、共食をすることは、自分が健康だと感じていること、健康な食生活、規則正しい食生活、生活リズムが整うことと関係していると説明しています。また、共食に対して、1人で食事をする孤食もあります。孤食をすることは、好きなものばかり食べる、加工食品等濃い味付けのものを食べる、それらの結果として、適正な栄養素等の摂取ができない、さらにコミュニケーション不足等と関係しているといわれています。しかし、前述したように、共食をしていても孤食をしている場合と同様の問題がみられますし、孤食をしていても共食をしている場合と変わらないこともあります。

「健康に生きる」ためには、食事を楽しむことが重要だと述べてきました。そこで、誰かと一緒に食事をしていても楽しくないと感じることと、1人で食事をして楽しくないと感じることの共通点を考えてみました。2つの場合に共通していることは、孤独感ではないでしょうか。誰かと食卓を囲んでいても、それぞれ別の料理を食べたり、会話がなかったり。1人で食べているのと同じです。人と人は食事を通じてつながり、相互の理解を深め、社会的なつながりを促進すると考えられています。逆に1人で食事をして楽しいと感じる場合は、同じ食卓にはいないけれど、食事に関わっている人とつながっているのかもしれません。例えば、農家の人、料理をつくってくれた人、これまでに楽しく食事を共にした人等・・・。

誰かと食事をすることがよいことで、1人で食事をすることはよくないと考えるのではなく、食事には様々な人が関わっていることを感じ、それらの人のことを思い、食事を楽しむことをお勧めします。このときの楽しさは、意的な「楽しい」がベースになっています。

共「食」のすすめ

共食と孤食は、私が20年以上師事する足立己幸先生(女子栄養大学名誉教授・名古屋学芸大学名誉教授)が、40年以上前に名づけました。足立先生は研究を積み重ねる中で、共食を単に「誰かと一緒に食べること」という狭い概念で捉えられてしまうことに危機感を感じ、その概念について補完してきました。

(1)家族と一緒に「食事を食べる」こと、から(2)誰かと一緒に「食事を食べる」こと、(3)誰かと一緒に「食行動」をすることへ。食行動とは、食べる行動、つくる行動、食を営む力の形成・伝承に関わる行動です。さらに、新型コロナウイルス感染症のパンデミック下での食生活の変化を踏まえ、(4)地球/宇宙に生活するすべての人が、それぞれのゴール(「健康に生きる」ための理想の食事としてもよいかもしれません)の実現に向け、「食」を共にすること、共「食」と呼ぶことができる、としています。そして、「食」とは、人間・食物・地域のかかわりを包括する概念(「食育基本法」前文の「食」と重なる)としています。また、足立先生は共食を(1)から(4)の全体としてとらえるとき、(4)は(3)を、(3)は(2)を、(2)は(1)を内包し、(4)は(1)から(3)を包括しているとしています。

自分ができる共「食」について考え、楽しみながら実践してみませんか。

まとめ

今まで、1人暮らしで共食できない、離れて暮らす家族と共食したいが難しいと思っていた方もいるでしょう。先ずはみんなが楽しく食事をすることを大切にしてみませんか。そして、自分らしい、またはその人らしい食事とは何か、それぞれの理想の食事について考えてみませんか。

そこにはきっと、みなさんらしい共「食」があるのではないでしょうか。

【参考・引用文献】
・村山昇:キャリア・ウェルネス「成功者を目指す」から「健やかに働き続ける」への転換.日本能率協会マネジメントセンター
・足立己幸,衛藤久美:共食と孤食 50年の食生態学研究から未来へ.女子栄養大学出版部