奈良佐保短期大学 生活未来科生活福祉コース
介護福祉士、社会福祉士
日本介護福祉学会
介護福祉士として奈良市内の特別養護老人ホームにて介護職員、生活相談員として勤務。その後奈良佐保短期大学にて介護福祉士養成に携わる。
介護の基本、介護過程、生活支援技術、介護実習等の科目を担当し、介護福祉士をめざす学生の指導を行っている。
介護の専門職である介護福祉士は、介護を展開するにあたって介護が必要な方(以下利用者とする)の「生活歴」を重視します。
生活歴とは、その人の人生の歴史をいいます。どこで生まれてどのような人に囲まれて育ち、暮らしていたのか。何を仕事とし、趣味としてきたのか。どのような服が好きだったか、どのようなものを食べてきたか等、挙げればきりがありません。
人生は一人ひとりが長い年月をかけて築き上げてきたものであり、全く同じ人は存在しません。
私の叔母は70歳代で認知症の症状が現れ始め、数年間の在宅生活を経た後に介護施設に入所しました。
5人きょうだいの長女として、幼い頃から家の手伝いやきょうだいの世話をして過ごしました。叔母は明るくて気前が良く、多くの人に囲まれた生活を送っていました。町内会や婦人会の活動に励み、ママさんバレーボールや日本舞踊に通うなど趣味も多く、料理も得意で自慢の料理で周囲の人をもてなしていました。
私は小学生の頃、夏休みになると叔母のもとへ身を寄せていました。毎年叔母と一緒に盆踊りに行ったり近くの川に遊びに行ったりし、とても楽しかったことを覚えています。
休む暇もない程アクティブに活動していた叔母の姿を、施設の職員さんはどのくらい知ってくれていたのか、認知症の症状が出てからの叔母の姿からは想像もできないくらい忙しい人生を送ってきたことを、どのように理解しケアに活かしてくれたのか、介護が必要になったときに近くにいることができなかった私にはそこまではわかりませんでした。遠くから「叔母の人生を理解してくれる職員さんに出会ってほしい」と願うばかりでした。
介護福祉士は「認知症の〇〇さん」ではなく一人の人として利用者の生きてきた歴史を大切にし、尊重して関わっていきます。利用者本人から語られる言葉を少しずつ拾い、情報を集め、その情報をつなげていき、今どうしたいのか、これからどうしたいと思っているのかを考えながらケアを行います。これこそが一人ひとりに応じた個別ケアにつながり、介護が必要になってもその人の尊厳を保持したケアの実践につながります。
私の叔母の場合も、認知症の症状が初期の頃は身体はしっかりと動いたため、一緒に料理をしたり体操をしたりすることができれば、叔母にとって楽しい時間を過ごすことができたと思います。症状が進行し、車椅子が必要になってからも盆踊りや日本舞踊で使う音楽を聴くことができれば、手を動かして踊ったり、メロディーに合わせて口ずさんだり、懐かしい思い出を感じられたりしたのではないでしょうか。
高齢化率の全国平均が29%を超えた超高齢社会にある日本において、介護を必要とする高齢者はますます増加し、認知症により介護が必要な利用者も増えています。認知症の症状や介護度が重度になると、利用者本人が自ら語ることが難しくなり、介護福祉士が得られる情報が限られてきます。
介護福祉士と利用者が出会うタイミングのほとんどが「介護が必要になってから」です。出会った時以降の姿だけを見ていると、その人全体を知ることができません。そのため、ご家族やごきょうだいなど、身近な方々の協力が欠かせません。日頃の介護に関する協力はもちろんですが、利用者のことを長く良く知っている方々からの情報が大切であり、若い頃どのように過ごしていたのか、何が好きだったかなど、些細なことのようですが、その生活歴の情報が介護福祉士にとっては大きなヒントとなり、その情報をもとに、利用者の思いや願いを叶える介護を展開していくことができます。
介護はチームで行いますが、そのチームにはもちろん家族も含まれます。様々な人々の連携の下で介護は成り立ち、一人ひとりを大切にした介護が行えるのです。