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(7ページ目)退去体験談一覧934

老人ホーム・介護施設の退去体験談の一覧ページです。
女性
症状なし
車椅子
糖尿病・インスリン
入居者:81〜85歳/女性/実の父母/要介護2/自宅にいた(同居)

藤和の郷の退去体験談

退去の直接のきっかけは、母の持病であった糖尿病が悪化し、蜂窩織炎(ほうかしきえん)になったことです。足の皮膚の状態がだんだんと悪くなり、施設のすぐ近くにある病院に入院することになりました。 病院では両足の切断も検討されるほどの状態で、手術が必要だと言われました。母はその状況にかなり落ち込んでしまい、気力を失ってしまったようでした。一度退院はしたものの、残念ながら半月も経たないうちに亡くなりました。 入院に至るまで、施設の看護師さんをはじめ、スタッフの方々は本当に一生懸命対応してくださいました。私たちがなかなか会いに行けない中でも、みんなで母を応援してくれていたので、その点はとても良かったと思っています。
取材日:2026/05/26
執筆者:谷口美咲
女性
症状なし
車椅子
症状なし
入居者:81〜85歳/女性/祖父母/要介護2/自宅にいた(独居)

ガーデンテラス砧公園の退去体験談

退去の理由は、祖母が施設で亡くなったためです。
取材日:2026/05/25
執筆者:谷口美咲
男性
物忘れ
車椅子
骨折・骨粗しょう症
入居者:96〜100歳/男性/実の父母/要介護2/自宅にいた(同居)

イリーゼ狛江の退去体験談

入居から約2ヶ月が経った頃、父は再入院することになりました。そして、残念ながら、その後亡くなりました。施設での生活に何か不満があって退去したというわけではありません。
取材日:2026/05/25
執筆者:谷口美咲
男性
物忘れ
車椅子
症状なし
入居者:86〜90歳/男性/実の父母/要介護2/自宅にいた(同居)

ドーミー中野江古田の退去体験談

父については、施設で亡くなったため退去という形になりました。入居中、体調を崩して施設から直接病院へ入院するということが何度かあり、その都度施設の方には対応していただきました。 最終的に施設で息を引き取ったというわけではありませんが、父の入居生活はそこで終わりとなりました。今は母だけが同じ施設でお世話になっています。
取材日:2026/05/25
執筆者:谷口美咲
女性
症状なし
車椅子
症状なし
入居者:86〜90歳/女性/実の父母/要介護3/その他施設に入居していた

アビタシオン千葉の退去体験談

母が施設内で体調を崩し、他界したためです。 最期の時は夜中だったのですが、午前4時の2回目の「おむつ交換」のタイミングで、巡回していたスタッフさんが、母の様子の変化を見つけてすぐに電話をくれました。「救急車を呼びますがどうしますか?」と聞かれたので、すぐにお願いして私も病院へ駆けつけました。 介護業界はどこも離職率が高くて人が変わりやすいですし、アビタシオンでもたまに派遣のスタッフさんが入ることはありました。高望みをすればもっと求めたいことは色々あります。ですが、そんな夜中であっても、ちゃんと定期的に見回って、放置せずに異変を即座に見つけて適切な対応をしてくれた。これだけで、前回の施設を経験した私たち家族からすれば、本当に十分すぎる対応でした。最後は病院で他界しましたが、アビタシオンのスタッフの皆さんが夜間もちゃんと母の命を見ていてくれたことには、今でも深く感謝しています。
取材日:2026/05/24
執筆者:岸川京子
女性
症状なし
車椅子
症状なし
入居者:81〜85歳/女性/実の父母/要介護3/自宅にいた(同居)

イリーゼあすみが丘の退去体験談

後から分かったことなのですが、こちらの運営会社は年間で非常に多くの施設を新規開業させているそうです。そのためか、オープン当初にいた有能な施設長さんや看護師さんといった優秀なスタッフは、満床になった段階で、また別の新しい新規オープン施設へと異動してしまったようなのです。 新しく配置された方は、言葉を選ばなければ、とてもその役職を任せられるような人ではなく、看護師も「本当に看護の経験があるの?」と疑いたくなるような人ばかり。頭数合わせのために事業もよく分かっていない派遣の看護師が来たりして、サービスの質がガクンと恐ろしいほど悪くなりました。母自身は周囲と楽しくやっていましたが、施設の対応悪化に伴い、少しずつ状態が悪くなっていきました。 決定的だったのは、母が施設内で転倒した際、適切な対応がなされなかったことです。母が痛がっているにもかかわらず、シップを貼るだけの処置で3日間も放置されてしまいました。毎週会いに行っていた私が異変に気づき、すぐに救急車を呼んだところ、実際には骨折していました。介護付き有料老人ホームとして看護師の加算等もしっかり支払っているにもかかわらず、専門職としての適切な観察や判断が行われなかったことに、強い不信感と恐ろしさを覚えました。これ以上は預けられないと判断し、入院中に一刻も早く次の施設を探すことを決めました。
取材日:2026/05/24
執筆者:岸川京子
男性
症状なし
自立
症状なし
入居者:96〜100歳/男性/実の父母/自立/その他施設に入居していた

ニチイケアセンター伊東かどのの退去体験談

父が施設で息を引き取ったため、退去となりました。
取材日:2026/05/23
執筆者:谷口美咲
男性
症状なし
自立
症状なし
入居者:91〜95歳/男性/実の父母/自立/自宅にいた(同居)

プレザングラン南雪谷の退去体験談

退去を決めた一番の理由は、やはり金銭的な負担が大きくなったことです。運営会社から突然、大幅な料金値上げ、特に食事代の値上げが告げられました。 それに加えて、有料のイベントが頻繁にあり、その参加費も決して安くはなかったため、毎月の請求額が当初の想定を大きく上回るようになってしまったのです。例えば、天ぷらやカツ丼などを食べるイベントなのですが、1回の参加費が3,000円から4,000円ほどかかります。「どうですか、参加しますか」と聞かれると、本人も断りづらかったようです。イベント自体は楽しい企画だったのかもしれませんが、そうした費用が積み重なっていきました。 最終的には、このままでは経済的な負担が大きすぎると家族で判断し、別の施設へ移ることを決めました。
取材日:2026/05/23
執筆者:谷口美咲
男性
物忘れ
自立
症状なし
入居者:86〜90歳/男性/実の父母/要介護2/自宅にいた(同居)

ライフニクス高井戸の退去体験談

退去の一番の理由は、両親が施設の生活に馴染めなかったことです。施設自体に何か問題があったわけではありません。むしろ、対応はとても良かったと思っています。 ただ、両親は二人とも長年中小企業の経営者として働いてきたためか、他の入居者の方とのコミュニケーションを少し難しく感じていたようでした。「話が合わない」といったことを言うようになり、認知症が進んだこともあってか、少しわがままな面も出てきました。私としては良い施設だと思って勧めたのですが、本人たちの性格と集団生活との相性が良くなかった、というのが正直なところです。最終的には、本人の意思を尊重し、在宅介護に切り替えることを決めました。
取材日:2026/05/23
執筆者:谷口美咲
男性
症状なし
自立
がん・末期癌
入居者:81〜85歳/男性/実の父母/要支援2/その他施設に入居していた

ベストライフ福住の退去体験談

施設での生活を送っているうちに、父が2回目のコロナに感染してしまいました。治療のために入院することになり、それがきっかけで施設を退去するかたちになりました。 結局、父は施設には戻ることなく、そのまま亡くなりました。
取材日:2026/05/23
執筆者:谷口美咲
女性
物忘れ
手引/伝い歩き
脳梗塞・脳卒中・脳出血・くも膜下出血
入居者:86〜90歳/女性/実の父母/要介護4/自宅にいた(同居)

ソレスタ大船栗田の退去体験談

退去を決めたのは、経済的な理由からです。物価上昇の影響で施設側も利用料の値上げをされることになり、父の年金だけでは費用を賄うのが難しくなってしまいました。ケアマネージャーさんに相談したところ、特別養護老人ホームへの転居を勧められ、幸いにもスムーズに移ることができました。 施設への不満が直接的な原因というわけではなく、あくまで金銭的な事情での退去でした。
取材日:2026/05/23
執筆者:谷口美咲
女性
症状なし
車椅子
脳梗塞・脳卒中・脳出血・くも膜下出血
入居者:56〜60歳/女性/実の父母/要介護2/自宅にいた(同居)

プラチナ・シニアホーム旭の退去体験談

長い間お世話になりましたが、特養へ移ることになりました。退去を決めた際、こちらの施設のケアマネージャーさんが、新しい施設探しまで本当に親身になって手伝ってくださいました。転居に至るまでの様々な手続きや相談にも乗っていただき、最後まで本当に良くしていただいたと思っています。
取材日:2026/05/21
執筆者:谷口美咲
男性
症状なし
車椅子
脳梗塞・脳卒中・脳出血・くも膜下出血
入居者:86〜90歳/男性/義理の父母/要介護3/病院に入院していた

有料老人ホーム花あかりの退去体験談

最初は良い印象しかなかったのですが、入居者が増えていくにつれて日常的な対応への不信感が募り、最終的には入院を経て退去することになりました。 皮膚科の通院日にお迎えに行ったとき、車椅子に座っている義父が「お尻が痛くて痛くてたまらない、痛い」とずっと言っていたんです。驚いて「スタッフさんや看護師さんには伝えたの?」と聞くと、義父は「言ったけど、『どうもない、どうもない』としか言ってくれない」と言いました。「頭のしっかりしている義父がこれだけ痛がるのだから、何かあるはずだ」と思い、連れて行った外部の皮膚科の先生に事情を話して診てもらったところ、その場ですぐ緊急入院となりました。 車椅子に当たるお尻の部分に大きな出来物ができており、それが陥没して中の肉が腐ってしまっているような状態だったんです。そのまま入院して集中治療室に入れられ治療が始まりましたが、結局そのお尻の出来物が良くならず、そのまま経過が悪くなって亡くなってしまいました。 義父があれだけ痛いと言って「見てよ」と言っていたのに、なぜ施設は「どうもない」で済ませてしまったのか、今でも悔やまれてなりません。自宅だと難しいからとお願いした結果、「義父に辛い思いをさせてしまった、ごめんなさい」という思いが、今でもずっと家族の心に残っています。
取材日:2026/05/19
執筆者:岸川京子
女性
物忘れ
アルツハイマー型認知症
入居者:86〜90歳/女性/実の父母/要介護2/自宅にいた(独居)

ここえ浜名湖の退去体験談

こちらの施設には数年間ほどお世話になりました。しかし、母の状態が徐々に変化し、最終的には要介護5でほとんど寝たきりの状態になりました。そうなると、こちらの施設での生活を続けるよりも、より手厚い介護を受けられる環境が必要だと考え、特別養護老人ホームへ移ることを決めました。 施設に何か不満があったというわけではなく、母の身体状況の変化によるものでした。
取材日:2026/05/18
執筆者:谷口美咲
男性
せん妄
自立
アルツハイマー型認知症
入居者:71〜75歳/男性/実の父母/要介護2/自宅にいた(同居)

住宅型有料老人ホーム コートピアの退去体験談

退去のきっかけは、父が施設内で大怪我をしたことです。詳しい原因は今もよくわからないのですが、兄弟から聞いた話では、お風呂場で転んだか何かで、集中治療室で治療を受けるほどだったようです。そこまでの大怪死になる前に、もうちょっと手厚いフォローというか、見守りはできなかったのかなという疑問はあります。 また、怪我をしたときに施設から電話があって病院まで行ったのですが、指定されたかかりつけの大きい病院に行ったら、整形外科の専門の先生がいないと言われて、違う病院に行くよう言われたんです。 そもそも施設であれば、土日だったとしても、まず病院に電話をして専門の先生がいるか確認を取り、どこの病院に行っていいかちゃんと段取りをしてから、私たち身内に報告して動くのが筋なんじゃないかなと思いました。1回病院に行ってまた違う病院に行くというのは、言い方は悪いですけどたらい回しのようで、少しおかしいなと感じました。結局、その大怪我を理由に施設を離れて移転する流れになり、そのまま戻ることはありませんでした。
取材日:2026/05/17
執筆者:岸川京子
男性
物忘れ
歩行器
症状なし
入居者:86〜90歳/男性/実の父母/要介護1/自宅にいた(同居)

グループホーム萩の退去体験談

父はこちらの施設に数年ほどお世話になり、施設で亡くなりました。入居当初は馴染むのに時間がかかりましたが、最後はスタッフの方々に家族のように温かく見守られながら、穏やかな最期を迎えることができたと思っています。
取材日:2026/05/16
執筆者:谷口美咲
女性
物忘れ
自立
パーキンソン病
入居者:71〜75歳/女性/実の父母/要介護1/病院に入院していた

介護付有料老人ホーム オアゾ桜木の退去体験談

最終的に母は、こちらの施設で息を引き取りました。看取りの際、施設側とも色々と相談させていただいたのですが、「無理なく、自然に」ということでお願いをしていたんです。最後の看取りまでちゃんとその通りに対応していただいたことには、とても感謝しています。
取材日:2026/05/08
執筆者:岸川京子
男性
症状なし
自立
がん・末期癌
入居者:91〜95歳/男性/実の父母/要介護2/自宅にいた(同居)

SOMPOケア ラヴィーレ鎌倉常盤の退去体験談

退去を決めた一番の理由は、排泄ケアに関する衛生面での懸念でした。父は尿道カテーテルを装着していたため、特に清潔を保つ必要があったのですが、リハビリパンツやパッドの交換が十分に行われていないと感じることがありました。本人が「大丈夫」と言ってしまうため、スタッフの方が細かく確認せずに済ませてしまうことがあったようです。 かかりつけの主治医の先生に診てもらった際に、「この状態では心配だ」というご意見をいただいたことが、施設を変える決心を固める直接のきっかけとなりました。やはり専門家の目から見ても良くない状況だったようで、このままではいけないと感じたのです。
取材日:2026/05/14
執筆者:谷口美咲
女性
症状なし
自立
がん・末期癌
入居者:66〜70歳/女性/実の父母/要介護4/自宅にいた(独居)

住宅型有料老人ホーム ハートケアライフ誉田の退去体験談

退去の理由は、母が施設で亡くなったことです。 入居中、母は徐々に心身ともに弱っていきました。精神的なものだったのか、あるいは再発した癌の影響だったのか、はっきりとは分かりませんが、最後のほうは意識もはっきりしていなかったです。 コロナ禍で面会が厳しく制限される中でしたが、いよいよという時には施設側が配慮してくださり、「ご家族やご親戚も面会どうぞ」と声をかけてくれました。おかげで、私たち家族は母の最期を施設で看取ることができました。
取材日:2026/05/11
執筆者:岸川京子
男性
物忘れ
自立
症状なし
入居者:71〜75歳/男性/祖父母/要介護3/自宅にいた(同居)

介護付有料老人ホーム いずみ野の退去体験談

こちらの施設には2年ほどお世話になりました。退去の理由は、施設で亡くなったためです。 入居当初は馴染めるか心配もしましたが、最終的には穏やかな時間を過ごし、この場所で最期を迎えることになりました。
取材日:2026/05/10
執筆者:谷口美咲
女性
症状なし
車椅子
症状なし
入居者:91〜95歳/女性/義理の父母/要介護3/自宅にいた(同居)

シニアハウスセービング浜町の退去体験談

入居してしばらく経った春頃、施設の方から「足が赤くなっている」と連絡がありました。すぐにかかりつけの整形外科に電話したところ、「すぐに来てください」と言われ、そのまま入院、手術となりました。先生から「入院の見込みがちょっと長い」と言われたので、一旦退去することにしました。今はまだ医療的な処置が必要なので、施設に戻るのは難しいかなと思っています。看護師さんがずっといる特養さんとか、そういったところを病院の相談員さんと相談していこうと思っているところです。
取材日:2026/05/09
執筆者:岸川京子
男性
症状なし
自立
症状なし
入居者:81〜85歳/男性/実の父母/要支援1/自宅にいた(同居)

伊豆ヘルス・ケア特定施設入居者生活介護事業所の退去体験談

退去を決めた理由は、大きく二つあります。 まず介護面ですが、この施設には介護棟があるものの、実際には部屋数が非常に少なく、入居者の多くが自立型のお部屋で介護を受けながら生活されていました。そのため、いざ介護が必要になった際にスムーズに介護棟へ移れる保証がなく、結局は自宅で外部のヘルパーを呼ぶのと変わらない状況であることが分かったのです。両親は「将来の安心」を求めて入居したはずが、実際にはその安心が物理的に難しいという現実に直面しました。 次に立地の問題です。周辺に買い物ができる場所や飲食店がほとんどなく、外出には1日に数本しかない施設バスかタクシーを利用するしかありませんでした。自立して元気に動ける両親にとって、この「不自由さ」は想像以上にストレスとなり、まるで閉じ込められたような感覚に陥ってしまったそうです。さらにコロナ禍による外出制限も重なり、自由のない生活に限界を感じたことが、退去を決意させる決定打となりました。
取材日:2026/04/25
執筆者:谷口美咲
女性
物忘れ
車椅子
骨折・骨粗しょう症
入居者:76〜80歳/女性/実の父母/要介護5/病院に入院していた

プレザンメゾン八王子高倉の退去体験談

入居から2年ほど経った頃に母が他界したため、退去することになりました。
取材日:2026/05/06
執筆者:谷口美咲
女性
症状なし
寝たきり
脳梗塞・脳卒中・脳出血・くも膜下出血
入居者:66〜70歳/女性/実の父母/要介護5/病院に入院していた

有料老人ホーム セレンディピティ3号館の退去体験談

長年お世話になりましたが、最後は誤嚥を起こしたことがきっかけで、救急車で大きな病院に運ばれ、そのまま入院し、最終的にはその病院で息を引き取りました。 搬送される時に施設の施設長さんがずっと救急車に乗って、一緒について行ってくださったんです。私は遠方に住んでいてすぐには行けなかったのですが、私が駆けつけるまで施設長さんがずっと母のそばについていてくださいました。そこまでしていただいたことは、本当にありがたかったです。
取材日:2026/05/05
執筆者:岸川京子
男性
物忘れ
症状なし
入居者:86〜90歳/男性/実の父母/要介護4/自宅にいた(同居)

住宅型有料老人ホーム パセム西宮の退去体験談

施設で転倒して頭を打ったということで、「CTを撮りに行かせてください」と精神科のある病院に連れて行かれたんです。そこで診察を受けたら「だいぶ認知症がひどいね」と言われて。そのまま認知症の人が入院する病院への紹介状を書かれて、入院することになったのが退去の理由です。 もともと入居前から症状は重かったのですが、施設側からは「これ以上ここで見るのは難しい」という話があり、認知症の専門病院への入院を勧められました。施設は住宅型だったので、もしかしたら重度の介護が必要な父には合っていなかったのかもしれません。
取材日:2026/05/04
執筆者:岸川京子
女性
物忘れ
自立
症状なし
入居者:86〜90歳/女性/実の父母/要介護1/自宅にいた(独居)

ハーモニーライフ若葉の退去体験談

退去の理由は、母が亡くなったことです。血圧が下がってきて、その前からずっと寝ているような傾眠傾向が続いていたんです。私は元々、何かあったら最後は病院で診てもらって…と考えていたのですが、施設の方から「うちの方でもお世話できます、看取れます」と言っていただけて。それで急遽、お願いすることにしました。 それからの1ヶ月間は、毎日朝の9時から夜の7時ごろまで施設に通いました。具合がちょっと悪いなという時は、私のためにマットレスをちゃんと用意してくださって、何日か泊まることもできたんです。看護師さんもいらっしゃいますし、スタッフさんも四六時中、亡くなるまでの1ヶ月間、入れ替わり立ち替わりで本当に手厚く看病してくださいました。もう、これに関しては申し分ない所です。 最後、母が息を引き取るまでそばにいられたことは、なかなか他ではできないことなんじゃないかなと思っています。本当に、きちんとお見送りすることができました。
取材日:2026/05/02
執筆者:岸川京子
女性
物忘れ
自立
症状なし
入居者:96〜100歳/女性/実の父母/要介護1/病院に入院していた

SOMPOケア ラヴィーレ南大泉の退去体験談

入居させていただいてから2、3ヶ月ほどで、母は亡くなりました。それが退去の理由です。
取材日:2026/05/03
執筆者:谷口美咲
女性
物忘れ
自立
症状なし
入居者:86〜90歳/女性/実の父母/要介護1/自宅にいた(独居)

白ゆり美原の退去体験談

退去を決めた一番の理由は、施設のケア方針が母の状態や性格に合っていなかったことです。滞在期間は1ヶ月ほどでしたが、その間に母が精神的に窮屈さを感じていることがわかりました。 具体的にお話しすると、スタッフの方の対応が少し子供を扱うような印象を受けることがあったようです。例えば、入居者を移動させる際に名前を呼ぶのではなく、服を引っ張って促すといった場面が見られたと聞いています。また、ルールが厳格で、少しのお菓子の持ち込みも認められないなど、全てをきっちりと管理しようという姿勢が強く感じられました。 これらのことが重なり、母自身が施設での生活に「あまりいい気持ちはしない」と感じていたことが、退去を決める最終的なきっかけとなりました。施設側と何かトラブルがあったわけではありませんが、母の気持ちを最優先に考え、転居することにしました。
取材日:2026/05/03
執筆者:谷口美咲
男性
症状なし
自立
心臓病・心筋梗塞・狭心症
入居者:91〜95歳/男性/義理の父母/要介護1/自宅にいた(独居)

リアンレーヴはるひ野の退去体験談

義父が亡くなった直接の原因は、施設内での新型コロナウイルス感染でした。 ちょうど施設内で感染が広まっていた時期だったようで、管理体制をしっかりする、という目的で義父の部屋が移動になったんです。もともとは2階の端の方の部屋だったのですが、看護師さんのいる場所から一番近い、人の出入りが多い場所に変わりました。義父は「部屋が変わって出入りが多くなり、窮屈だ」と少し面倒そうに話していましたが、その部屋移動の直後に感染してしまったようです。 感染がわかってからも、午前中までは読書をするなど元気だったと聞いています。ところが、午後に容態が急変しました。施設内での対応が難しいということで、急遽近くの病院へ搬送されたのですが、病院に着いてからさらに状態が悪化し、そのまま亡くなりました。 担当してくださったお医者様からも詳しい説明を受けましたが、医師から見ても「予想を超えた急転直下だった」とのことで、その急な変化には驚いていらっしゃいました。どうやら、ギリギリまで施設内で対応しようとした結果だったようです。
取材日:2026/05/03
執筆者:谷口美咲
女性
物忘れ
自立
症状なし
入居者:66〜70歳/女性/実の父母/要介護2/自宅にいた(独居)

聖ハートフルケア福島十字の園の退去体験談

母は長い間、本当に家族同然にお世話になりました。最後の方は病院へ行くことも難しくなりましたが、提携先の先生に往診に来ていただいて、自分の部屋で最期まで過ごすことができました。 亡くなる少し前、施設の方から「今会わないと後悔するから来てください」という内容のお電話をいただいたんです。私が駆けつけたとき、母はすごく元気でニコニコしていて。「大丈夫そうだな」と思って一旦家に帰ったその夜のことでした。老衰という形で、眠るように逝ったんだと思います。 亡くなった後の顔も、私には笑っているように見えました。母は母なりに、施設での生活に折り合いをつけて、最後は笑って父の元に行けた。それは母にとって一番いい形だったんじゃないか、幸せだったんじゃないかと、自分ではそう思うことにしています。
取材日:2026/05/02
執筆者:岸川京子