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(2ページ目)退去体験談一覧934

老人ホーム・介護施設の退去体験談の一覧ページです。
女性
物忘れ
脳梗塞・脳卒中・脳出血・くも膜下出血
入居者:81〜85歳/女性/義理の父母/要介護2/病院に入院していた

介護付有料老人ホーム シニアコートあざれあの退去体験談

退去に至った経緯は、いくつか重なっています。まず、亡くなる1年ほど前、義母は食事があまり摂れない状態だったにもかかわらず、糖尿病の薬がそのまま処方され続けていたことで、低血糖を起こして意識を失ってしまったことがありました。 また、夜間に一人でトイレに行こうとして転倒し、腰の骨を折ってしまったこともありました。それから寝たきりの状態になってしまったのです。施設の方からは「もううちでは見れそうもないので、次の施設を探してほしい」というお話もやんわりといただいていました。 最終的には、腰を骨折してからいよいよという状態になり、かかりつけだった近くの病院の終末期医療の病棟へ入院することになりました。それが、この施設を退去する直接の理由です。結局、その病院で最期を迎えました。
取材日:2026/07/15
執筆者:谷口美咲
男性
物忘れ
車椅子
症状なし
入居者:86〜90歳/男性/実の父母/要介護2/自宅にいた(同居)

竹の塚明生苑の退去体験談

退去の理由は、父が亡くなったためです。直接の死因は、間質性肺炎でした。骨折で入院した際の検査で病気が見つかり、施設に入居してからも何度か体調を崩しては提携病院に入院するということを繰り返していました。 施設の対応に不満があって退去したわけではなく、病状の悪化によるものでした。
取材日:2026/04/27
執筆者:谷口美咲
女性
物忘れ
車椅子
パーキンソン病
入居者:81〜85歳/女性/実の父母/要介護4/自宅にいた(同居)

ベストライフ草加の退去体験談

母はその後、こちらの施設を退去し、特別養護老人ホーム(特養)へと移ることになりました。その特養で、母は生涯を閉じ、亡くなりました。
取材日:2026/04/27
執筆者:谷口美咲
女性
物忘れ
自立
糖尿病・インスリン
入居者:76〜80歳/女性/実の父母/要介護3/自宅にいた(同居)

ぐるーぷりびんぐ ゆかるの退去体験談

施設を退去することになった直接の理由は、母がある一人の職員さんに固執するようになってしまったことです。母に理由を尋ねると、「あの人のことが気になるから、色々アドバイスしてあげているんだ」と言っていました。最初は施設側もなんとかやり過ごしてくれていたようなのですが、次第にその職員さんの精神的な負担が大きくなってしまい、ついには出勤できない状態になってしまったと、施設長の方から連絡がありました。 そのお話の中で、施設長から「同じ系列の別施設があるので、そちらに移って様子を見てみてはどうか」というご提案をいただきました。私としては、施設長さんがとても頼りになる方だと感じていましたし、状況を正直に話してくださった上で提案までしていただけたので、そのお話を受け入れることにしました。施設長さんとのコミュニケーションはとてもスムーズで、うまく対応していただけたのは、本当にありがたかったと思っています。
取材日:2026/07/13
執筆者:谷口美咲
女性
物忘れ
車椅子
脳梗塞・脳卒中・脳出血・くも膜下出血
入居者:86〜90歳/女性/実の父母/要介護4/その他施設に入居していた

住宅型有料老人ホーム ワールドステイ足利の退去体験談

最終的に退去したのは、母が施設で亡くなったためです。入居時の契約の際に、本人も交えて延命治療は行わないという意思を家族全員で確認し、施設側にも伝えていました。そのため、最期は特に苦しむことなく、医師からは老衰という診断を受け、穏やかに眠るように旅立ちました。施設の方々の対応にも特に問題はなく、本人の希望通りに見送ることができたと思っています。その点については、納得しています。
取材日:2026/07/13
執筆者:松島豊
男性
症状なし
症状なし
入居者:91〜95歳/男性/実の父母/要介護1/その他施設に入居していた

ベストライフ京都西京極の退去体験談

ベストライフ京都西京極さんを退去することになったのは、入居していた父が逝去したためです。 転居のきっかけとなった服薬管理も含め、最期までしっかりとした体制で見守っていただけたので、こちらの施設に移る選択をして良かったと思っています。
取材日:2026/07/13
執筆者:谷口美咲
男性
症状なし
自立
症状なし
入居者:91〜95歳/男性/実の父母/要支援1/自宅にいた(独居)

SOMPOケア そんぽの家S西京極の退去体験談

こちらの施設を退去したのは、父の状態が変わり、より手厚い介護が必要になったからです。 入居中に介護度の見直しがあり、父は要介護1の認定を受けました。そうなると、サービス付き高齢者住宅であるこちらの施設では、介護の面で限界があると感じるようになりました。特に服薬管理については施設側で行ってもらえなかったため、私が毎日通って薬のチェックをしていたのですが、それでもたまに飲み忘れてしまうことがありました。 ちょうどそのタイミングで、以前から良いなと思っていた別の施設さんが、要介護1から入居できる施設だということを思い出しました。そちらなら服薬管理も全てお任せできますし、今の父の状態には合っているのではないかと考えました。父に「今なら移れるけど、どうする?」と相談したところ、父も特にこだわりはなかったようで「それなら移ってもいいよ」と言ってくれたので、転居を決めました。 施設への不満があったわけではなく、父の状態に合わせた前向きな決断でした。
取材日:2026/07/19
執筆者:谷口美咲
女性
症状なし
車椅子
がん・末期癌
入居者:86〜90歳/女性/実の父母/要介護2/その他施設に入居していた

ニチイメゾン春日の退去体験談

母は、こちらのニチイメゾンに入居している期間中に、体調の変化を経て、施設で息を引き取りました。 そのため、退去の理由は他施設への転居や自宅復帰ではなく、施設内で看取っていただき、生涯を終えたことによるものです。最期までこちらの施設で過ごさせていただき、無事に母を送り出すことができました。
取材日:2026/07/13
執筆者:谷口美咲
女性
症状なし
車椅子
がん・末期癌
入居者:86〜90歳/女性/実の父母/要介護2/自宅にいた(独居)

ウエルハウス千里中央の退去体験談

退去を決めた一番の理由は、母の状態と施設の環境が合わなかったことです。認知症がなく、自分の意思をはっきりと伝えられる母にとって、周りに話し相手がいない環境はやはり寂しかったようです。 その中で、退去の直接の引き金となったのは、お風呂の対応でした。母はまだ杖を使えば歩くことができたのですが、施設では個別での入浴はできないと言われ、機械浴しか利用できませんでした。もう少しゆっくり入りたいと時間の延長をお願いしても、「いえ、もう規則ですから」と、こちらの事情を聞いてもらえる雰囲気ではありませんでした。その画一的な対応には、母だけでなく、話を聞いた私も少し寂しい気持ちになりました。 それに加えて、毎日の食事もあまり母の口には合わなかったようです。こうした日々の小さな不満が積み重なり、母から「ここを出て、別の施設に移りたい」という強い希望があったため、私たちは転居を決断しました。
取材日:2026/07/13
執筆者:谷口美咲
女性
物忘れ
歩行器
症状なし
入居者:91〜95歳/女性/実の父母/要介護1/自宅にいた(独居)

SOMPOケア そんぽの家S京都嵯峨野の退去体験談

施設には数年ほどお世話になりました。特に施設に対して何か不満があったわけではなく、母が亡くなったため、退去することになりました。
取材日:2026/07/12
執筆者:谷口美咲
女性
物忘れ
症状なし
入居者:91〜95歳/女性/祖父母/要介護3/自宅にいた(同居)

ツクイ・サンシャイン三鷹深大寺の退去体験談

退去した理由は、祖父母が二人とも亡くなったためです。施設の中で看取られたわけではなく、最後は入院というかたちで病院に移り、そこで息を引き取りました。
取材日:2026/07/12
執筆者:谷口美咲
男性
症状なし
手引/伝い歩き
在宅酸素療法
入居者:86〜90歳/男性/実の父母/要介護2/自宅にいた(同居)

櫻乃苑都立大学の退去体験談

最終的に退去したのは、父が老衰で亡くなったためです。 最期の頃は体調が悪化し、夜中に呼び出されることもありました。もういつ何があってもおかしくないという状況が続いていたので、覚悟はしていました。面会についても、容態が悪化してからは時間制限などもなくなり、いつでも顔を見に行くことができました。
取材日:2026/07/11
執筆者:岸川京子
男性
症状なし
症状なし
症状なし
入居者:81〜85歳/男性/祖父母/自立/自宅にいた(独居)

サービス付き高齢者向け住宅 コムニの里みどりヶ丘の退去体験談

退去の直接のきっかけは、祖父がコロナに罹患してしまったことでした。救急搬送が必要になった際に、身元引受人である私の父に施設から連絡があったのですが、その時、父と連絡が取れなかったそうなんです。 結局、東北地方に住んでいる叔母が最終的な身元引受人になりました。 また、コロナ禍だったこともあり、父は一度も祖父に面会に来なかったようです。私が会いに行った時も、祖父は「あいつ(父)が全然来ない、だめだ」と嘆いていました。そういったことが重なり、祖父の中で「北関東の地元に帰りたい」という気持ちが強くなったようです。その思いを叔母に伝えたところ、北海道の病院の主治医の方が北関東の病院に移れるように手配をしてくださり、無事に転院できることになりました。退去の際は、東北地方から叔母夫婦が来て手伝ってくれたと聞いています。
取材日:2026/07/10
執筆者:松島豊
女性
物忘れ
寝たきり
症状なし
入居者:86〜90歳/女性/実の父母/要介護5/その他施設に入居していた

ニチイケアセンター戸田笹目の退去体験談

実はもうすぐ今の施設を出ないといけないんです。ちょっと入院をしまして。それで、今の母の体調では条件的に施設で対応できないという話になりまして、退去することになりました。 ニチイさんでの生活を振り返って、基本的にはここで良かったなと思っています。本当に、条件が合えばこのままここでお世話になれたらな、と思えるような施設でした。何か施設に不満があったわけではなく、体調と条件が合わなくなってしまったという理由での退去です
取材日:2026/07/10
執筆者:岸川京子
女性
物忘れ
寝たきり
アルツハイマー型認知症
入居者:81〜85歳/女性/実の父母/要介護5/その他施設に入居していた

住居型有料老人ホーム えびす堂ナーシングホームの退去体験談

退去した理由は、母が施設で息を引き取ったためです。オープニングから入居させていただき、約1年という期間でしたが、最期の時までこちらでお世話になりました。
取材日:2026/07/10
執筆者:松島豊
女性
症状なし
自立
糖尿病・インスリン
入居者:81〜85歳/女性/祖父母/要介護2/自宅にいた(同居)

住宅型有料老人ホーム福寿庵の退去体験談

退去することになった直接の理由は、特定の外国人スタッフの方との間にトラブルがあったことです。祖母の話によると、そのスタッフの方から本来あるべきサービスを受けられなかった、ということでした。 具体的には、「朝のバイタル測定に来てくれなかった」とか、「定期的な居室の掃除に来てくれなかった」といった内容です。ただ、私たちがその場を直接見ていたわけではないので、どのような状況だったのか正確なことは分かりません。祖母の思い込みという可能性も否定はできず、何とも言えないというのが正直なところです。 ただ、祖母も90歳近い高齢で、一度気になると考え込んでしまう性格です。この一件で精神的に参ってしまい、これ以上ここにいるのは難しいということになり、退去を決めました。トラブルは施設全体というより、その特定のスタッフの方との相性の問題だったようです。
取材日:2026/07/10
執筆者:松島豊
女性
物忘れ
症状なし
症状なし
入居者:86〜90歳/女性/義理の父母/自立/自宅にいた(同居)

ニチイケアセンター流山の退去体験談

退去という形ではなく、義母は入居していたこの施設で最期を迎えました。体調が変化してからもそのまま施設で過ごし、亡くなるまでお世話になりました。施設のスタッフの方々が、最後を看取ってくださった形です。 最期を迎える前後の時期においても、施設の対応に何か問題があったということは特にありませんでした。
取材日:2026/07/10
執筆者:松島豊
女性
症状なし
自立
症状なし
入居者:86〜90歳/女性/実の父母/要介護2/その他施設に入居していた

ベストライフ広島の退去体験談

退去の一番の理由は、費用面です。施設自体に何か不満があったわけではなく、むしろスタッフの方々には良くしていただいたと思っています。ただ、月々20数万円という費用は、私たちにとって大きな負担でした。 そのため、入居と並行して、費用が半分以下で済む特別養護老人ホーム(特養)にも2ヶ所ほど申し込みをしていました。もし特養に空きが出なければ、そのままお世話になるつもりでしたが、幸いにも1つの特養から「入居できますよ」という連絡をいただいたのです。このタイミングで、ベストライフ広島を退去し、特養へ移ることを決めました。正直なところ、費用面の問題がなければ、ずっとお世話になっていても良かったと思っています。
取材日:2026/07/10
執筆者:松島豊
男性
物忘れ
自立
症状なし
入居者:96〜100歳/男性/祖父母/要介護3/自宅にいた(同居)

介護付有料老人ホームモデスティア水戸の退去体験談

最終的に誤嚥性肺炎を起こしてしまい、亡くなったため退去となりました。 体調が急変した際も施設側からはすぐに連絡をいただきました。亡くなる数週間前くらいからは「こういう状況であれば」ということで居室での面会が解禁され、時間を気にせずいつでも会いに行けるように配慮してくださいました。
取材日:2026/07/10
執筆者:岸川京子
女性
物忘れ
症状なし
入居者:76〜80歳/女性/実の父母/要介護2/自宅にいた(同居)

ケアホームおはなの退去体験談

退去の直接的な理由は、母の身体状況の変化です。入居してしばらくした頃に母が骨折で入院することになりました。その入院中に、以前から申請していた要介護認定の結果が出て、要介護2から3に上がったんです。 もともと、自宅からもっと近い施設が良いという希望がありました。母の要介護度が上がったこともあり、サービス付き高齢者向け住宅よりも、より手厚い介護が受けられる介護老人ホームの方が合っているだろうと考えました。入院中に新しい施設を探していたところ、自宅から近く、条件に合うところが見つかったため、退院のタイミングでそちらに移ることを決めました。 ですので、施設側に何かトラブルや不満があったわけでは全くありません。施設に問題は一つもなかったので、母の状況が変わらなければ、そのままお世話になっていたと思います。
取材日:2026/07/09
執筆者:谷口美咲
女性
症状なし
症状なし
骨折・骨粗しょう症
入居者:86〜90歳/女性/義理の父母/要介護2/自宅にいた(独居)

ベストライフ我孫子の退去体験談

退去した理由は、施設で亡くなったためです。入居してから、ちょうど4年が経った頃でした。 最後の1年間は、2020年から始まった新型コロナウイルスの影響で、面会が一切できなくなってしまいました。直接会えなかったのは、やはり心残りです。ただ、施設の方の対応に何か問題があったわけではありません。義母の様子に変化があればケアマネジャーさんからこまめに電話で連絡をくださいましたし、「これを持ってきてください、あれを持ってきてください」といったやり取りは常にありましたので、様子は伝えていただけていました。
取材日:2026/07/09
執筆者:松島豊
男性
症状なし
症状なし
入居者:86〜90歳/男性/実の父母/要介護2/病院に入院していた

コットンクラブの退去体験談

父が亡くなったため、退去することになりました。 年が年ということもあって、徐々に食事も摂れなくなって最後は寝たきりになっていきました。最期は危篤の時には連絡が来ず、完全に息を引き取ってからの連絡だったので、「ギリギリまで一緒に過ごすという形にならなかったのは、良かったのか悪かったのか…」と少し思うところもあります。 でも、提携の病院のお医者様が定期的に来てくださっていましたし、最後亡くなった時もちゃんと駆けつけて死亡診断書を作っていただけたので、最後は天寿を全うして静かに旅立つことができました。
取材日:2026/07/08
執筆者:岸川京子
男性
物忘れ
自立
パーキンソン病
入居者:86〜90歳/男性/祖父母/要介護3/病院に入院していた

サービス付き高齢者向け住宅 あかり苑西庄の退去体験談

祖父は、この施設で最期を迎えました。 晩年は、だんだんと食事が摂れなくなっていってしまいました。固形のものからゼリー状のものになり、それすらもほとんど受け付けなくなってしまって…。病院で胃ろうにするかどうかも話が出たのですが、母と「年齢的にもそこまでさせるのはかわいそうだよね」と話し合って、無理な医療ケアはしない選択をしました。 病院に入院してもできることは限られていたので、施設で点滴をしてもらいながら見守ってもらうことにしました。最期は朝の巡回のときに施設から「危篤です」とお電話をいただいたので、すぐに走って向かって、みんなで看取ることができました。 最後まで親身に寄り添っていただき、納得のいく形で見送ることができました
取材日:2026/07/08
執筆者:岸川京子
女性
物忘れ
車椅子
症状なし
入居者:91〜95歳/女性/祖父母/要介護3/自宅にいた(同居)

インテフィールの退去体験談

退去の直接のきっかけは、祖母に癌が見つかったことです。高齢ということもあり、家族で話し合った結果、手術などの積極的な治療は行わず、痛みを取り除きながら穏やかに過ごしてもらうという方針を決めました。しかし、入居していた施設では癌の疼痛コントロールといった医療的なケアには対応していないとのことでした。 この点については入居時の契約でも「癌になった場合は退去していただくことになります」と説明を受けていたので、私たちも納得の上で退去の手続きを進めました。施設側の対応もスムーズで、特に問題はありませんでした。その後、祖母は緩和ケアを専門とするホスピスに移り、3ヶ月ほど穏やかに過ごした後、静かに息を引き取りました。
取材日:2026/07/07
執筆者:松島豊
男性
症状なし
歩行器
結核
入居者:86〜90歳/男性/実の父母/要介護3/その他施設に入居していた

住宅型有料老人ホーム かつらぎの風の退去体験談

退去の理由は、父が亡くなったことです。 実は、亡くなる直前まで、父の体調は回復傾向にありました。コロナに軽く罹患したのですがその後回復し、食欲も出てきたと聞いていました。面会もできるようになったので、2回ほど会いに行き、最後に孫たちも含めてみんなで会いに行ったんです。その時は「元気になってきたね」と話をして、私たちも安心していました。 ところが、その翌日の朝、施設から連絡があり、父が亡くなったと知らされました。本当に突然のことで、前兆のようなものは何もありませんでした。ですが、亡くなる直前にみんなで顔を合わせることができましたし、その際の施設の対応も非常に丁寧でした。少し口元が弱っていてはっきりとは話せませんでしたが、直接会えたことは本当に大きかったです。
取材日:2026/07/07
執筆者:松島豊
男性
症状なし
症状なし
入居者:86〜90歳/男性/実の父母/要介護2/自宅にいた(同居)

介護付有料老人ホーム四つ葉のクローバー桜井の退去体験談

父が施設で息を引き取り、そのまま看取りとなったため退去しました。 元々、夫婦の間で「自力で歩いて階段を上れなくなったら誰かに迷惑がかかるから施設にお世話になろう」と話し合っていたこともあって、最期まで施設で過ごすつもりではいたんです。途中でむくみがひどくなって入院した際、父が「病院の生活は辛い。どんなにしんどくても二度と入院したくない」と言い出しまして。施設だと誰かがすぐ顔を出して話を聞いてくれますが、病院だとそうはいかず辛かったみたいなんですね。 そこで施設や訪問医の先生と相談して、「急変しても入院はせず、施設で看取る」という承諾書を交わして見取りの体制に入りました。そこからの対応は本当に丁寧でした。血圧が下がっていく中でこまめに連絡をくださり、最期の晩は私が部屋に泊まり込んでずっと横に付き添うことができました。朝方に息を引き取った際も、勤務されていたスタッフさんが一緒に見送ってくださり、看護師さんも死後の処置をとても丁寧に行ってくださいました。お通夜の前には、お世話になったスタッフさんたちが代わる代わる顔を見に来てくださって、本当に温かく見送っていただけたと思っています。
取材日:2026/07/07
執筆者:岸川京子
女性
症状なし
車椅子
糖尿病・インスリン
入居者:91〜95歳/女性/実の父母/要介護2/病院に入院していた

特定施設入居者生活介護八尾の杜の退去体験談

退去の理由は、母が亡くなったためです。老衰でした。 亡くなる1年ほど前に、施設内の自室で夜中にトイレへ行こうとして転倒し、手首を骨折してしまったことです。入院している間にかなり体力が落ちてしまい、それまで杖で歩けていたのが、すっかり歩けなくなってしまいました。そこから一気に弱ってしまったように思います。 最期は施設で看取っていただきました。体調の変化があった際にはその都度しっかりと連絡をいただけましたし、外に出られない母の状況をきちんと見てくださっているのが伝わってきたので、遠方から見守る私たちとしては助かりました。
取材日:2026/07/07
執筆者:岸川京子
男性
症状なし
症状なし
症状なし
入居者:86〜90歳/男性/その他親族/要介護1/その他施設に入居していた

イリーゼ横浜旭の退去体験談

最終的には、叔父が亡くなったことに伴い退去となりました。ある日、容態が急変し、施設から救急搬送されることになったのですが、その際もスタッフの方がきちんと付き添って病院まで行ってくださいました。私たちも家が少し離れていたので、すぐに駆けつけられない状況だったのですが、施設の方が迅速かつ丁寧に対応してくださり、本当に助かりました。最期の時に至るまで、特に問題を感じるようなことはなく、穏やかに見送ることができたと思っています。
取材日:2026/07/07
執筆者:松島豊
男性
物忘れ
症状なし
入居者:86〜90歳/男性/義理の父母/要介護3/自宅にいた(同居)

ニチイメゾン横浜上大岡の退去体験談

退去した理由は、義父の体調が悪化したことです。施設での医療対応では難しい状況になってしまったので、病院に入院することになり、そのまま退去という形になりました。 施設での生活については、本当に満足していたと思います。
取材日:2026/07/07
執筆者:岸川京子
女性
症状なし
車椅子
糖尿病・インスリン
入居者:91〜95歳/女性/実の父母/要介護3/病院に入院していた

グランフォレスト鷺宮の退去体験談

母は、老衰で亡くなったので退去となりました。最期まで施設のほうでお世話になりました。 高齢でしたので、だんだんともう食が細くなってきてしまって。施設の方でも色々とゼリーとかそういうもので対処してくださったんですけど、やはりだんだん食べなくなっていきました。でも最後のほうは、もう食べられるものは何でも食べるようにということで、こっちからも差し入れができるようになったんです。甘いものとかもどんどん持って行って、とりあえず食べてもらえればいいという感じで過ごさせてもらいました。最期までしっかり見てもらい、食事も対応してくださったので、家族としても満足して過ごすことができたと思っています。
取材日:2026/07/07
執筆者:岸川京子