入居前はどのような状況でしたか?
両親は二人で名古屋に住んでいたのですが、施設探しを考え始めたのは、糖尿病の母がインスリン注射で低血糖を起こしたことがきっかけでした。「もしかしたら2回打ってしまったのかもしれない」とお医者さんに言われ、認知症が始まっているのではと、とても怖くなったんです。父は「自分が母の面倒を見る」と言ってくれましたが、父自身も物忘れが見られるようになり、大切なインスリン管理を任せるのは不安でした。
当時、私も仕事の都合で名古屋に住んでいましたが、いつ埼玉へ戻ることになるか分からない状況でした。私がいる間に、両親が安心して暮らせる場所を見つけなければと、市役所に相談してケアマネジャーさんを紹介していただき、まずは要介護認定を受けることから始めました。幸いにも両親とも要介護1の認定がおり、本格的に施設探しがスタートしました。
施設探しを始めたきっかけは何ですか?
施設を探すにあたり、ケアマネジャーさんから「何かあった時にすぐ駆けつけられるように、親族の近くがいいですよ」とアドバイスをいただきました。その一言で、いずれ私が戻る埼玉か、兄弟のいる大阪のどちらかで探すことに決めました。ただ、両親の年金で賄える範囲となると選択肢は限られ、特に関東は費用が高く、なかなか見つかりません。大阪に住む兄弟にも協力してもらい、いくつかの施設を候補に挙げました。
入居決断時に葛藤や罪悪感はありましたか?
名古屋での暮らしを気に入って「永住したい」と話していた両親を、全く違う土地へ移すことには、正直なところ大きな葛藤と罪悪感がありました。特に父はまだ元気な部分も多かったので、施設での暮らしに抵抗があるのではないかと心配でした。しかし、母の健康と安全を考えると、専門の方にお任せするのが最善の選択だと信じて、決断に至りました。私たちの決断を両親がどう受け止めるか、本当に不安な気持ちでいっぱいでした。
見学時、施設に対する不安はありましたか?
最終的に大阪の2つの施設を見学しました。一つはピアノやカラオケルームもあって魅力的だったのですが、「外出ができない」という点がどうしても引っかかりました。母は健康のために散歩を日課にしていたので、それは可哀想だなと。もう一つの候補が、今お世話になっているピースフリー桜塚さんでした。
見学時の不安は特にありませんでした。むしろ、ピースフリーさんは築2年と新しく、施設全体がとても明るい雰囲気だったのが印象的です。スタッフの方々も若い方が多くて活気があり、施設長さんも非常にしっかりした方だったので、ここなら両親を安心してお任せできるかもしれない、と感じました。姪たちも一緒に見学したのですが、「こっちの施設がいい」と直感で選んだことも、私たちの背中を押してくれました。